松前町立松前病院の医療再生(前編)

医学書院『病院』9月号の「事例から探る地域医療再生のカギ11」に掲載予定の「松前町立松前病院の医療再生(前編)」について、今回は予定稿を先行してネットで掲載します。

7月31日で退任される木村眞司先生の行われた松前病院での医療再生について、その成果を確認するものです。

『病院』本編に掲載の時は修正される可能性があります。

追記、『病院』編集部さんより、全文掲載はご遠慮いただきたいとの要望があり、一部を削除しました。

残りは『病院』9月号をご覧ください。


松前町立松前病院の医療再生(前編)

■ 何が問題だったのか

①医師雇用に苦しむ過疎地の病院
 北海道松前町は、北海道最南端の渡島半島南西部に位置する町である。かつては、松前藩の城下町として政治・経済・文化の中心地として栄え、北海道では唯一の城のある町である。函館から車で2時間(95Km)と交通不便地にあり、漁業や水産加工、観光などの従来からの主要産業は衰退の傾向にある。人口も減少傾向にあり、1970年の国勢調査で18,624人いた人口は2010年には8,750人と半分以下になっている。

 松前町の設置する町立松前病院(100床)は、1990(平成2)年11月に北海道立病院から移管され、町立病院として運営されてきた。北海道のへき地の病院に共通の問題として、医師の雇用に苦労しており、高い医師報酬を支払っても医師は定着せず、診療の姿勢に問題ある医師も多かった。

 医師雇用が不安定なこともあって病院の収益も伸び悩み、2001年には手持ちの現金は枯渇し、一時借入金に頼る経営に陥る。一時借入金の総額は2005年に5.5億円に達した。道立病院時代の1978年に建設された病院の建物も老朽化し、電気設備・配管設備が劣化しており、建て替えが急務となっていた。

■どのような手法がとられたか

①小本清治事務次長の着任
 1998年8月、町部局から小本清治氏が病院の事務次長に着任する。小本次長は、松前町で企画課課長補佐として総合計画策定や行政改革の仕事を担当し、病院は初めてであった。小本氏は抜きん出た企画力・洞察力・行動力を有し、町長や上司に直言することをいとわない性格で、経営が悪化していた松前病院の建て直しのため数ある職員の中から選ばれて送り込まれた(当時、2人の事務長が就任したが、2人とも病院で入院し、4年間不在状況にあった)。

 小本次長は、病院に着任して医師の雇用が不安定であることを強く感じた。関連の医科大学から専門医の派遣を受けているものの数は少なく、公募の医師に頼らざるを得なかった。公募の医師の報酬は高い一方、診療の姿勢に課題があり、短期間で病院を辞めた。

 医師の雇用問題を解決するため、小本次長は2000年11月に町長や町議会議員と共に自治医科大学地域医療学センター長の梶井英治教授を訪問した。訪問は医師を送ってほしいというのではなく、どのようにすれば医師が勤務するかについてについて教えを受けることが目的であった。梶井教授から、へき地の病院で全ての診療科で専門医を雇用するには限界があること。患者の身体や心を総合的に診る総合診療医が診療を行うことが効果的であることを教えられた。

 その後、小本次長ら松前病院関係者は、梶井教授に紹介された札幌医科大学地域医療総合医学講座の山本和利教授を訪ねた。そして、同講座の助手を務めていた木村眞司医師との関わりが始まる。2001年4月、同講座は濱口杉大(すぎひろ)医師を松前病院に派遣する。濱口医師は、舞鶴市民病院・天理よろづ相談所病院を経て関西医科大学附属病院で勤務していたが、同講座関係者の誘いを受けて医局員となった。当初、濱口医師は別な地域の病院に勤務する予定であったが、勤務地で不都合が発生したことから急きょ松前病院に勤務することになった。

 濱口医師が病院で担う仕事の一つは、札幌医科大学で地域医療を志す医学生の実習を松前病院で受け入れることであった。濱口医師が松前病院に派遣された以降、毎年数多くの医学生が松前病院で実習を行うこととなった。当時、小本次長は北海道の最南端のへき地病院に数多くの医学生が実習で訪れることに正直驚いたという。小本次長を始めとする松前病院関係者は全力で学生への対応を行う。学生の旅費、衣食住は全て病院負担。歓迎会と送別会は必ず行った。学生が病院関係者と酒を酌み交わし、総合診療やこれからの医師としての人生について熱く語ってもらった。松前町の良い所も見てもらった。

 2002年1月には、講座と松前病院の間でテレビ電話を使ったインターネット会議が始まった。インターネット会議は、後述の「プライマリ・ケアレクチャー、プライマリ・ケアカンファレンス」につながっている。当時、松前病院はインターネット会議に最初に手を上げ、当時最新のADSL回線を導入した。松前病院に頼むと、小本次長や担当職員の手配で物事がすぐに進んだという。

 小本次長ら松前病院関係者は、濱口医師ら病院内の総合診療医の活躍を見て、札幌医大の地域医療総合医学講座から総合診療医の院長の招へいを図る方針を固め、派遣依頼を行う。

 
②木村眞司院長の赴任
 札幌医大の地域医療総合医学講座は、松前病院への院長派遣の要請に対して派遣することを決断し、最終的に木村眞司助手が松前病院に院長として派遣されることになった。木村助手は、小樽市出身で札幌医科大学を卒業後、横須賀米軍基地インターン、米国で家庭医療科研修医(インディアナ州テレホート市ユニオン病院)、老年医学研修医(ミネソタ大学)として経験を積み、茅ヶ崎徳洲会総合病院に勤務後、2000年10月に講座の助手となっていた。

 当時、木村医師はへき地医療の実践を行いたいという想いがあり、小本次長などの松前病院関係者の対応がよく、松前病院であればよい仕組みづくりができるのではと考え、院長就任を承諾した。小本次長は、まさか木村助手が院長に就任するとは考えていなかったという。

 2005年11月、木村眞司医師は41歳の若さで松前病院の院長として赴任する。当時の松前病院の勤務医の中で2番目の若さであった。木村医師が院長として松前病院に赴任して感じたのは、時代遅れの診療を行っていることであった。例えば、内科外来のルールとして患者は診察室で上半身裸となり、バスタオルで身を包んで診療を待つこととされていた。また、医師がそれぞれ勝手なやり方で仕事をしていた。

 木村新院長は、よい医療を提供するには、医師をはじめとした全ての職員が標準的な医療を行うことが必要と考え、まず医師の研修体制の構築に取り組む。試行錯誤の上、月曜日に医局会、火曜日・金曜日に症例カンファレンス、水曜日・木曜日はインターネット勉強会が行われることとなった。そして、初期研修医や医学生の研修を積極的に受け入れることとした(図表1)。2009年には家庭医療後期研修のプログラムの認定を受け、翌年には後期研修医の受け入れを開始した。


図表1



 若手医師の研修体制を充実する一方、必要以上に高い医師給与は見直した。具体的には①医師給与表を改定して全体に下げ、かつ毎年の昇給幅を小さくし、卒後満20年で昇給停止にした(木村院長も2009年3月末で昇給停止となっている)、②研究研修手当が支給されているため、二重手当になる医師の研究研修旅費を廃止した、③高すぎる手術手当(診療報酬の20%)を廃止した。2008年5月には全科診療医(総合診療医)中心の病院を標榜し、研修体制に魅力を感じる若い医師が集まる病院と変わっていった。

 その結果、図表2のように医師数を増やすと共に医師報酬の抑制を実現した。このことは病院経営に良い影響を与えることとなった。


図表2



 医療提供については、小本次長の提案を受け2006年8月に透析を開始する。それまで、松前病院では透析を行っておらず、透析患者は函館市内の医療機関に通うか、住むか、あるいは67Km先の江差町の道立病院に通うしかなかった。当初は5床で開始し、現在は10床で運用している。

 また、患者の利便性向上と集患のために病院への送迎バス運行を隣の福島町まで延伸し、途中から新たにバスを購入して2台体制とした。これらは前田一男前町長(現衆議院議員)の理解によって実現した。医師数の増加にあわせて、図表3のように隣の福島町を含めて積極的に救急患者の受け入れを行う。救急患者の積極的な受け入れは病院収益の改善に貢献することとなる。


図表3




③看護部長の招へい
 松前病院の問題点として医師だけでなく、医療職員の医療水準や意識の低さがあった。特に、病院の要である看護部は旧態依然としており、病院の経営状況も意識せず、業務改善の意欲も乏しかった。このため、函館協会病院で看護副部長をしていた藤田恵子氏を1年かけて看護部長に招へいした(2009年)。藤田氏は松前出身で、小本次長と松前高校の同級生であった。藤田氏も、看護師人生の最後に故郷に貢献しようと30数年ぶりに松前に戻ることを決断した。藤田看護部長の着任で、看護部の中で毎日ベッドを埋めることが大切など、看護部職員の意識が改革されていった。2007年には看護職員向けの修学資金制度が創設され、後に看護師雇用に威力を発揮することとなる。



④過疎地の地方交付税の大幅増額
 経営改善に取り組む木村院長・小本次長ら松前病院関係者に追い風が吹く。2008年7月、総務省は「公立病院に関する財政措置のあり方検討会」を設置した。縁あって筆者も委員となった。検討会は2007年12月に公表された「公立病院改革ガイドライン」を受けてのものであったが、会議では相次ぐ自治体病院の崩壊を受け、地域医療を守るためには必要な財政支援を行うべきという議論が多く出された。

 同年11月に報告書が公表されたが、「必要な医療を効率的に提供するため、公立病院改革推進の視点も必要」という意見に加え、「地域医療の確保の観点から、過疎地における医療、産科・小児科・救急医療に関する財政措置は充実の方向で対処すべき」「各地方公共団体においては、所定の経費負担区分ルールに従い、一般会計等から適切な繰入が必要」 などの意見が盛り込まれる。報告書を踏まえ、2009年度より過疎地の自治体病院の地方交付税が大幅に増額された。地方交付税の増額により松前病院に対する松前町の一般会計繰入金が増えることとなった。


■ 成果

①経常収支比率は大幅改善
 医師雇用の安定による病院財務の安定、地方交付税の増額による一般会計繰入金の増額により、松前病院の経常収支比率は、図表4のように急改善する。


図表4




 図表5のように2007年に約5.8億円あった一時借入金は病院特例債に借り換えた上に、病院特例債も2015年度に全て返済した(病院特例債の返済のための元金分は、町の一般会計から病院会計に繰り入れられた)。2015年度末には松前病院事業会計は4.9億円の現金を持つに至る。懸案であった病院の建て替えも視野に入れられる状況となった。


図表5

以下は『病院』9月号で掲載することとします。


地域医療・自治体病院のマネジメント2016/07/19(火)16:32

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プロフィール

元埼玉県庁の職員。 現在は埼玉県の坂戸市にある城西大学の経営学部の教授で行政マネジメントを教えています。

伊関友伸

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